大正9年旧釧路町 (現釧路市)から分村、その後、昭和30年に昆布森村と合併し、新「釧路村」となり、昭和55年の町制施行により釧路町となりました。
原始時代からの歴史を刻む釧路湿原と青く広がる太平洋に面 した自然の豊かさを活かしつつ、国道沿いには郊外型商業施設が立ち並び、自然と住民生活の共存をめざしています。
人口 | 19,105人(R2.10.1現在) |
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世帯数 | 8,268世帯(R2.10.1現在) |
面積 | 252.66平方キロメートル |
最高気温 | 31.5度(H22.6.26) (知方学観測) |
最低気温 | -17.8度(H10.1.8) |
人口・世帯数は令和2年度国勢調査の数値です
わたくしたちは 美しい自然に育ちたくましい 開拓者精神を引きつぐ 釧路町民です
明日の豊かさと生きがいを求め 互いに親しみ励ましあい 住みよい町づくりを目ざして この憲章を定めます
1.みんなで力を合わせ 住みよい町をつくりましょう
1.美しい自然をたいせつにし たのしい町をつくりましょう
1.仕事に誇りをもち 豊かな町をつくりましょう
1.教養を深め 文化のかおる町をつくりましょう
1.健全な家庭をきずき 明るい町をつくりましょう
1.青少年の夢を育て 希望のもてる町をつくりましょう
6月から7月に淡紫色の花が咲き、茎は意外と堅くヒョロヒョロと伸びており、花冠が5つに裂け、内側の基部に濃い紫色の線が染まり、巧みな配色となっています。この花の優雅な美しさは、格調高い愛とのぞみとやすらぎを意味した花として「湿原の貴婦人」とも呼ばれているなど、湿原のある町としてふさわしいことから選定しました。
別名ヒメリンゴといい、高さ3〜5m、直径5〜15cmほどになる落葉低木で、花は白又は淡紅色で6月に咲き、9月に柄の長い赤い球形の果実をつけます。寒さに強く、釧路町の気候に合った樹木であることから選定しました。
全長50cmほどで、大木のある森林に住み、夜、羽音をたてないで行動します。アイヌ語では、「夜鳴く神」といい、その鳴声は「熊を捕らえよ」と聞こえるといいます。ギリシャ神話では、知恵をつかさどる神の意があり、格調高い鳥でありながら、ユニークさがあり、マスコットになりやすいことから選定しました。
本町は、北海道の南東部、釧路管内の南部に位置し、東は厚岸町、西は釧路市、南は太平洋、北は標茶町に接しています。 国道は、釧路市と根室市を結ぶ44号、中標津町へ向かう272号、標茶町に向かう391号の3路線があり、一般道道では深山釧路線、昆布森尾幌線、遠野別保線の3路線があります。
総面積は、252.66平方キロメートルですが、総面積の約81%は、山林となっています。
地形は、平坦な釧路原野からなり、町内を流れる河川は1級河川7、2級河川2を含む20水系、96河川です。
気候は、年間を通じて冷涼で、春から夏にかけては海霧の影響を受けるため日照時間が短く、比較的気温が低めです。秋は降水量も少なく晴天が続き比較的温暖で、冬は積雪量が少なく晴れの日が多く、気温は低めとなります。
本町は、明治時代より昆布森村、跡永賀村、仙鳳趾村、及び現在の釧路市の前身である釧路村の一部により形成されていました。大正9年釧路町(現釧路市)から分村した釧路村と昆布森村が昭和30年に合併し、新しい釧路村が誕生しました。また、昭和51年には人口が1万人を超え、昭和55年4月1日に町制を施行し、釧路町となりました。
釧路という名称は、アイヌ語の「クシュル(通路)」、「クツチヤロ(咽喉)」、「クスリ(意味不明)」のいずれかが転化したものといわれていますが、定説はありません。
現在は、別保、遠矢、セチリ太、東陽・中央、昆布森の5つの地域で構成されています。
本町の人口は、国勢調査によると令和2年は19,105人となっており、平成12年の22,478人をピークに減少傾向が続いています。 世帯数は徐々に増加しており、令和2年の国勢調査では、8,268世帯となっています。このことから、1世帯あたりの人員は年々減少しており、令和2年の国勢調査では2.31人と、核家族化が進んでいます。